代表プロフィール

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松下 泰成
Yasunari Matsushita

合同会社TKB 代表

一級建築士

風水建築士

建築士会インスペクター

ニックネーム:やすなりん

 

岡山市北区建部町福渡出身。

1970年生まれ。

大学で建築を学び、卒業後は建物調査会社に就職。

一級建築士の資格を取得後、住宅設計の世界へ。

設計職や営業職、そして営業から現場監督まで

一人で行う総合職(!?)を経験し

2015年に独立・まるや住宅設計を創業。

2020年に法人化し「合同会社TKB」を設立。

快適な住まいを創るにあたり、もっとも役立った経験は

バツイチの独身時代の家事作業であり

家事動線の善し悪しをしっかり経験。

ちなみに社名の由来は「タケベ(TaKeBe)」から。

妻と一人娘をこよなく愛するマイホームパパ。

 

松下の詳しい経歴は年表にしてみましたので

こちらをご覧ください

▼▼▼

 やすなりんヒストリー

〜一級建築士・松下泰成のこれまでとさまざまな遍歴〜

最後まで見られた方はすごいと思います…笑

 

 

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1970123日(戌年生まれ/A/いて座)

御津郡建部町福渡(当時)で生まれる。

・祖父母ら総勢8人の大家族暮らし。3人きょうだい(姉・兄)の末っ子・次男として、森林や畑など自然豊かな中山間地域に生まれ育つ。

36歳から地元保育園園長に就いた優しい保育士の母と、地元が大好きでわかりやすいガンコで親分肌の父、共働きで忙しい両親の代わりに、自然環境と共生していた祖父母といつも一緒に過ごした幼少時代。

・祖父母のさまざまな畑仕事、手仕事、道具(竹馬、竹とんぼなどの遊び道具も)の手作りを経験し物作りへの『好き』な思いが生活の中で育まれる。

・地元の福渡小学校へ入学。剣道スポーツ少年団に入団(6年生まで習い、1級を取得)。

・地元の建部中学校へ進学。陸上部(400m、800mなど)でキャプテンを務める。

 

198515歳。

岡山操山高校入学。

・普通科に進学。毎日津山線に揺られ片道50分と自転車で15分の通学。

・中学同様、陸上部へ入部。

3年生になり進路で慌てる。農学部へ行ってバイオテクノロジーの研究職に就くことを目論むが、モノづくりが大好きだったことを思い出し、建築へ舵を切る。

・国公立は建築学科で自分に合う大学(学力的に)が見つからず、鳥取大・社会情報システム科(コンピューターやIT技術系)を受験することに決める。が、二次試験時に反対方向の電車に乗ってしまい受験できずじまい。40歳になって不意に思い出しこの話を母親に伝えたら、完全に呆れられる笑。

 

198818歳。

岡山操山高校卒業。

近畿大学工学部建築学科(広島県)入学。

・初の一人暮らしは呉市。大学キャンパスの移転により後半の2年間は東広島市に居住。

・月に数える程度の自炊生活を送る

・多種多様なバイトを経験。ここで初めて個人として社会に関わる。

 (夜通しの交通量調査、機械工場で加工、デパートでアイス売り、SAでお土産売り、屋根瓦施工店での下手間(後日談あり)、地元のうどんの名店すぎ茶屋(同級生の実家)で皿洗い、たけべの森で駐車場整理など。)

・建築学科4年生次の専門ゼミは、都市計画を専攻。

・就職活動はちょうどバブルの崩壊直後で、あたふたと活動を開始。

 

1993 22歳。

近畿大学工学部建築学科 卒業。

エイトコンサルタント入社。

・岡山に本社のあるエイトコンサルタントに入社。補償コンサルタント業(*)に就く。

・テクノロジーが急速な発展をみせたこの時期、事務作業も報告書は手描きの図面からCADへ、また見積りに表計算ソフトLotus1-2-3を使うなど、OA機器を用いた業務効率化の過渡期に差し掛かる。

・岡山本社へ2年、鳥取支店へ2年、その後大阪支社へ転勤を命ぜられる。

・大阪在住時、苦節428歳で一級建築士を取得。

・大阪在住5年経過した時、実家の父が急逝。岡山支社への勤務を希望し帰郷。32歳で喪主を務める。

33歳の時に1回目の結婚。実家で母と3人で同居を始めるも、嫁姑問題が勃発。2年後、夫婦で建部の実家から、卒業した高校の近く(岡山市中区)へ引っ越す。

・岡山支社では4年間勤務し、エイトコンサルタントへは合計13年間勤務した。

 

*補償コンサルタント業とは・・・業務を大別すると2つ。1つ目は、道路の拡幅などで工事の支障となる建物を調査し、建物の移転方法の策定と移転費用を積算する業務。2つ目は、公共工事の振動により周辺の建物が被害を受けたか受けていないかを工事前に建物を写真撮影して、工事後に比較検討する業務。
仕事の委託元は、国、県、市など。県内では、例えば苫田ダム建設関連、岡山駅の階上化関連などに携わった。

 

200535歳。

エイトコンサルタント退社。

職業訓練校・住宅リフォーム科で半年間学ぶ。

・男たるもの、一度就職した会社は途中でやめるべきではないと思っていた。が、

・給料は良かったが、深夜残業はしょっちゅう。徹夜もあり、50代になったらこの仕事は体力的に無理があると判断。

・一級建築士を取得したこともあり、「モノ作りが好き」という気持ちを再認識。だんだんと建物を作る側で仕事をしたいという気持ちが強まり、建築士取得後7年、13年勤めた会社を退職。

・退職後、まずは職業訓練校にて住宅リフォーム科へ半年間就学(3か月間実技、3か月間学科)。

 

2006年 35歳。

ベストコーポレーション入社。

・設計課に配属され、東京の設計事務所で大型建築物や住宅の設計をしていた極端に口数の少ない上司・U課長の元で働く。

・その上司から、初日に「過去の設計を見せてみよ」と言われ、翌日、職業訓練校で設計した図面を見せたところ、「松下くん、悪くはないけど・・・スッキリしてないね」と一蹴される。

・設計の勘所は「スッキリ☆」。この教えが、後の自分の設計の礎となる。

・設計課の業務自体は、法律と正面からむき合って、ひたすら図面を描く仕事のみの内勤職。自身は建築士としてお客様と密な対話をもとに、住まいを創る仕事をしたい!施主さんの思い描くマイホームを築き上げるサポートをしていきたい!と強く思うようになり、転職後半年で、再び転職。

・仕事内容自体は自分のやりたいことではなかったが、この設計課長U氏からの教えが、その後の宝となる。

 

※上司の言うスッキリ☆とは・・・シンプル、少ない線、機能が凝縮されている、キレがある、冗長でないなどなど、いろんなものを含む。

 

200635歳。

ベストコーポレーション退社。

親喜建設入社。

・営業課に“技術営業”担当として再び転職。

・建築士として、お客さまと対話し、潜在的なニーズや希望をカタチにする、コーディネートがしたいという、自分が「やりたいこと」と「すること」がマッチし、想い描いていた通りの多角的な仕事内容に、充実感を覚える。

・土地選びのお手伝い、住宅ローン申請のノウハウなどバックアップやサポート部分を学ぶ。

・大手ハウスメーカーの提供する家と地域工務店の建てる家の調査・研究を独自に行い、お客さまの望むものをどのように形づくり、「住まう人中心主義」で住まいを構築していけるか?というテーマがこの時期からのライフワーク。現在も「住まいと住まい手」がどのように関わることがベストな住まいづくりとなるか、常に意識し、情報収集や確認作業にいそしんでいる。

・この頃、健康診断でコレステロール値アップが発覚。健康のため、スポーツジムに通い、高校以来となるランニングシューズを購入。20105月小豆島ハーフマラソンをキッカケに、マラソン、水泳、からのトレイルランニングに目覚める。

 

2011年 40歳。

結婚生活7年で離婚。

中古マンション購入。

・当時のパートナーは子どもを望んでいなかったため、自分のこれからの人生について悩みはじめる。建築学科で学んだ「家族は社会の最小単位」という概念が心の中にあり、「パートナーと子どもと共に人生を送りたい・・・」と、強く思いはじめる。

・悩みに悩んだが、40歳になり、ここが人生の分岐点!離婚を切り出す。

・離婚と同時に、3LDKの中古マンション購入。

8年振りの一人暮らしをキッカケに、とにかく料理、洗濯、掃除を、生まれて初めて頑張ってみようと決心する。これを実践してみて、生活家事動線のノウハウを体感。この、おひとり様生活自体が、住まいづくりに携わるものとして、必要で不可欠、重要な経験となる。

・掃除後の気持ちよさ、シンクに洗い物がない気持ちよさ、ぼーっと過ごすための気持ちよい居場所、など「住まいに求める心地よさ」を体感。「丁寧にくらす」大切さを知る。

・間取りのよさ、素材のよさ、切り取られた無駄、そして程よい無駄など、心地よい住まいを実現するために必要不可欠な条件を、実体験から得る。

・離婚から半年後、建部町の実家で1人暮らしだった母が他界。33歳で喪主を務めた父の時とはまた異なる、埋めようのない大きな穴が心にぽっかりとあく。

・週一で電話を入れ、月に12回実家へ帰っていた。母の爪切りや洗髪などたまに介助していたことから、体の不自由な人が不便に感じること、逆に利便性の高いものの見分けが付くようになってきた。

・この頃から、仕事で建築するにあたり、施工管理も自分で行い、すべての責任を負いたい、と思うようになる。

 

2012 41歳。

親喜建設退社。

サンクリエイト入社。

・親喜建設でお世話になっていた元上司が新たに事務所(建築・不動産)を構える、とうことで声をかけてもらい3回目の転職。

・働き方もこれまでの会社員とは異なるライフ&ワークバランスについて「生き方・やり方・在り方・姿勢」を再考するチャンスとなる。

・その会社で、商談、設計、現場監督、アフターサービスまでをひとりで担当する。

・仕事をするも休むも自由で、自由の厳しさを知る。

・その上司に、住まいの仕事で取り扱うモノ(家)の価格とそれに含まれる価値について、提供する側の心構えを教えられた。

LEXUSでさえ、1,000万円とか2,000万円であり、それを上回るモノを提供するための心構え)

 

2014年 43歳。

2度目の結婚。

待望の第一子誕生、父となる。

・マッチングアプリで知り合った妻と、出会って1か月半で入籍。オーストラリア帰りの妻の寝言が英語でビビる。この結婚・・・早まってしまったのかも・・・と恐れおののく。また、使用後のトイレのドアを開けっぱなしにするのが礼儀(換気!)だと考える妻と、生活様式の違いに困惑。

・後に判明したことだが、現在、妻の両親家族が住んでいる家は、大学時代にバイトに行った時にそこの屋根瓦施工店で工事したものであり、その当時の現場での記憶が鮮明によみがえってきた。早まった割には、縁があったようである。

・妻の妊娠が分かり、涙が出るほど喜んだ。

・娘が帝王切開で誕生。あまりの愛おしさに驚く。新生児室に通い詰め、写真を撮りまくる。

・妻子入院中、娘への可愛さがあり余り、オーガニックコットンの生地をネットで購入。夜な夜な帰宅後、ミシンで愛娘の為にオムツを縫いながら、退院後に始まる娘との暮らしをワクワクドキドキ妄想。独り晩酌に笑みがこぼれる。(が、娘との生活の現実は、ヘトヘトの連続!!笑)

・日々の娘の成長に振り回されながら、仕事は順調。

・ただ、住まいの仕事をすればするほど、『鬼門、裏鬼門は何故恐れられているのか、そもそも根拠は何なのか』が深く気になる。それを知らぬまま仕事を続けるのは、無責任である!と強く思い始める。

・お世話になっていた整体の先生から「天文地理風水」というものがあると情報をもらう。その後、「風水建築協会」の一級建築士の師と出逢うこととなる。

・とりあえず、鬼門・裏鬼門の秘密を知るべく、風水を学ぶため東京・福岡へ半年・延べ20日間、定期的に通う。実は風水は、占いではなく、むかしから日本人に深くかかわってきた環境の学問(環境学)という事を知る。

・人が肌感覚で心地よいと感じること、そのことが風水の重要な根幹であり、自身が幼少時代から体感してきた自然環境を無理に崩さないことが、風水の大事な価値観の一つなのでは、と感じる。

 

〈天文地理風水〉

・稲作とともに中国から日本に伝わってきた、と言われている。

・日本で風水は、飛鳥時代(?)~江戸時代にかけ、天皇家、幕府が政治活動に用いていた。

・家相や鬼門・裏鬼門は、日本で考えられた比較的新しい(明治になってから)概念である。

・「家相」の悪さが原因で建て替えが必要だ、といった考え方ではなく、「いま在るものに手を加え、よりよく改善する」ことのできる、環境学(地形、方位、暦などを体系立てた)である。

 

2015 44歳。

サンクリエイト退社。

まるや住宅設計 一級建築士事務所 創業。

・サンクリエイトでの3年間、営業から現場監督、アフターサービスまでを一貫して行う。「もしかして自分一人で工務店として仕事ができる」かもしれない、と独立を決意。

・独立し、岡山大学病院の近く、岡山市北区岡町にまるや住宅設計の事務所を構える。

・同時に、4年間空き家になっていた建部町福渡の実家へ家族で引っ越す。娘が地元の保育園での集団生活を始め、子ども日々の成長に目を見張る。「住まい」が家族にとって、無条件で安心できる、心地よいベース(基地)である必要性を、しみじみと日々実感するようになる。

・実家=自宅が築30年、やはり課題は現場にあり!修繕・メンテナンスをDIYで行うので、発見が多い ⇒ 仕事に活かせる。

・岡山市北区の最北端の町に暮していて、北区の最南端とは気温差も5度ほどあることも格好の研究材料。平地であっても山や川があるかないかの違いで、季節ごとの温度、湿度の変化を確認、体感し、傾向と対策について考える毎日。

・勉強してきた建物の工法、建材の知識と、積み上げてきた経験をもとに、お客様の小さなニーズにもマッチするものを提供できることの嬉しさを味わう。

・娘の子育て1年生。1年間娘のいろいろな世話をすることに大きな喜びと大きな疲労感を同時に味わう。2人目?喜びも大きいだろうけど、たった1年間でヘトヘト。2人目、ナイナイ!アリエナイ!

 

20198月 48歳。

事務所移転。

・独立して4年。仕事も忙しくなる。

・自宅から1時間ほど離れた事務所にいる時間が長くなり、次第に事務所泊まりが増える。

・妻より、事務所移転命令が下る。娘の幼い内の貴重な人格形成の時期に、会社員が単身赴任するみたいに家を空けてどうする!自営なのだ!家族と暮らしたかったんじゃないのか!(と妻に叱咤される)

・自宅敷地内の離れにある和室の天井を取っ払い、畳を杉フローリングに変え、壁に〈中霧島壁〉を塗り、事務所として使えるようにし、移転。

LIXILSW(スーパーウォール)工法、WB HOUSEの通気断熱WB工法など、実験棟に宿泊してみたり、体験・視察を行い、お施主様の希望に合わせて、提案。

 

2020年 49歳。

合同会社TKB 設立。

・岡山市北区建部町福渡 本店。

・自宅にいる時間が増え、自然環境・気候等が住まいに与える影響にさらに敏感になる。

・ここ10年ほどの建材や開発される工法の発達は実に目覚ましく、常にお客さまの顕在ニーズを伺いながら、まだ意識化されていない潜在ニーズを丁寧に聴き取りすり合わせ、提案していけるよう、情報収集・研究にいそしむ。

 

2021 50歳。バイク熱。

・バイク好きな義父が所有台数を減らしたいとのことで、ヤマハGT50(‘75年式・当時新車価格約11万円)を15万円で買わされる。

25年振りにまたがるバイクの楽しさに触れ、リターンライダーまっしぐら。その1か月後にバイク2台目となるヤマハRZ250R(‘86年式)を購入。

・調子に乗った義父より、大型免許取ったらこのバイクをやる、と言われ大型自動二輪を取得。

・約束通りホンダCBX750Fボルドール(‘85年式)をもらい笑、バイク3台目を所有(2022.6

・結構クルマ好きでもある。

 

2022 51歳。

建設業許可 取得。

・昨今のアスベスト問題(過去の問題ではナイ!)によりできた、アスベスト関係の資格を取得。そのほかにも様々な勉強会に参加している。

・健康被害に対する、自然素材の情報収集や実際のワークショップなどに積極的に参加し知見を広めている。

 

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・高齢化率50%の建部町福渡(全国平均28%)の町内会長より、副会長のご指名をいただき、副会長職2年目。他にも、福渡神楽保存会の会長、たけべ空き家おこしプロジェクト会計、建設労働組合の地区会計を兼務。

 

 

 

クルマ遍歴

21歳:トヨタスターレット EP71(母のお古)

22歳:日産サニー B12(父のお古)

22歳:レガシィツーリングワゴン 92年式 BF(新車)

25歳:大阪に行くためレガシィを手放す

27歳:ハリアー3.0 MCU10W(中古)

35歳:エスクード2.7 05年式 TD94W

38歳:AUDI A3 1.8TFSI 09年式8P・ドイツ車の乗り味に目覚める(笑)

43歳:AUDI A3 1.4TFSI COD 13年式8V

46歳:BMW X1 18d 16年式F48

48歳:セリカ GT-R2.0 86年式 ST162(中古)パカパカライト、雨漏れ車

49歳:VW クロストゥーラン 13年式 1TCTHW(中古)

・52歳:プジョー リフター 22年式(中古)

 

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バイク遍歴

27歳?:ヤマハSR400 (中古)45回乗っただけで、手放す

50歳:ヤマハGT50ミニトレ ‘75年式

50歳:ヤマハRZ250R ‘86年式

50歳:ホンダCBX750Fボルドール ‘85年式?

・52歳:アドベンチャーバイクが欲しい病にかかった。

  ➔トライアンフ タイガースポーツ660+パニアケースですな。

 

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マラソン遍歴

1992年】

12月 ホノルルマラソン 《フル》 5時間50

 大学の卒業旅行で。スタート時は寒いので、ゴミ袋をかぶって待機。スタート後30分もすれば、真夏の暑さ。走ってる最中、知らない人からもらったバナナを食べ、バナナのおいしさを初めて知る。

 

2010年】

5月 小豆島オリーブマラソン 《ハーフ》 2時間4

 完走後に食べることのできる、でっかい桶に入った島の光(そうめん)がサイコーにうまかった。

10月 蒜山高原マラソン 《ハーフ》 1時間49

 

2011年】

1月 千羽海崖トレイルランニング 《13km》 

 初のトレイルランニングの大会。砂浜がゴールで、楽しかった。

1月 児島花回廊いきいき健康マラソン 《10km》 41

 こんなに速いタイムはあり得ない・・・。距離が間違っていると思われる。

2月 そうじゃ吉備路マラソン 《フル》 4時間22

 社会人になっての初フル。

4月 さくらミニマラソン 《?》 ?

後楽園周辺を軽く走る。

4月 正木山トレイルランニング 《?》 ?

 コースを外れてしまった人が多数。手づくりのトレラン大会でした。

4月 津山加茂郷フルマラソン 《フル》 4時間21

 往路はほぼひたすら上り、ということは復路はほぼひたすら下りのわかりやすいコース。

5月 比婆山国際スカイライン 《18.5km》 2時間33分・トレラン

 小雨の降る中、やたらとゴールが遠く感じたトレラン。

10月 トマト銀行6時間リレーマラソン 41チーム 71.4km

 休めそうで休めないリレーマラソン。スポーツジムの利用者メンバーで参加。平均年齢高し。

11月 とくしまマラソン 《フル》 4時間37

 理由は不明だが、タイムは良くない。

 

2012年】

2月 そうじゃ吉備路マラソン 《フル》 4時間17

 2度目の吉備路。周回コースなので、飽きる。

4月 とくしまマラソン 《フル》 4時間35

前回のとくしまでは、タイムが悪かったので再びチャレンジ。でも、再び玉砕される。大型台風並みの暴風雨の中、みんな斜めになりながら、土手を進む。どうやらとくしまとは相性が悪いらしい。

9月 トマト銀行6時間リレーマラソン 41チーム 78.1km

 2度目。今回は、スポーツジムのトレーナーとチームを組んで。

11月 大阪マラソン 《フル》 4時間13

 国重要文化財・中之島公会堂近くを走ったことしか記憶になし。。。

 

2013年】

2月 そうじゃ吉備路マラソン 《フル》 4時間6

3月 瀬戸内アイランドトレイル 《ロング》 21km 3時間16

 スタート直後は、コース幅が狭く、大渋滞。という記憶笑。

7月 世界ジオパークトレイルラン(神辺高原)《40km》 6時間59

10月 トマト銀行6時間リレーマラソン 《ソロの部》 46.2km

 これはウルトラマラソンと呼ぶのだろうか、6時間で46km。周回コースが意外と楽しい。

12月 アンコールワットインターナショナルハーフマラソン 《ハーフ》 2時間6

 務めていた会社の社長に声をかけられ、参加。初の海外遠征笑。いろんな面で新境地。現地のトゥクトゥクドライバーに声をかけられ、彼の自宅で僕の誕生日を祝ってもらう笑。

 

2014年】

1月 たつの市梅の香マラソン 《ハーフ》 1時間54

 再婚後、初の参加。

2月 東京マラソン 《フル》 3時間59

 最後1kmで、もうダメかもと思ったが、次にチャンスはない、と走りきって念願のサブ4。

そのまま、箱根に新婚旅行(昭和笑)。

4月 備中高梁・吹屋歴史街道ウルトラマラニック 《63km》 9時間15

 初のウルトラ。いろんな特殊な人と出会う笑。

6月 OTTYマラソン 《10マイル》 1時間29

 初のマイル表示の大会笑。

10月 トマト銀行6時間リレーマラソン 《ソロの部》 26.4km

 やる気スイッチ見つからず。

 

2015年】

1月 星の郷ふれあい健康マラソン 《5km》 24

11月 おかやまマラソン 《フル》 5時間2

 練習せずに参加。ラーメン給食に舌鼓を打つ。想像を裏切る途切れない沿道の応援。いい大会です。

 

2016年】

12月 おかやまマラソン 《フル》 5時間4

 またもや練習せずに参加。今回も沿道の応援がすごい。

 

2019年】

2月 そうじゃ吉備路マラソン 《ファミリーの部 1.5km

 妻と4歳の娘の3人で参加。完走後の参加賞・カルピスに釣られた娘の暴走具合に舌を巻く。

 

 

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